この連載について
一人ひとりの答えが違う歯科医療。そんな中、話せる歯科医は、患者さんの言いなりでもなく、自分勝手でもない。科学的な根拠も大事だけど、ときに感覚やあいまいさを優先する。ではいったいどんな歯科医が話せる歯科医なのか? 私、内藤の経験や物語をとおして、話せる歯科医をひも解いていきます。ここには、これからの歯科医療における答えの決め方のヒントがあるはずです。
前回の話→第7回(父の交通事故①)
病院の救急入口につくと、
入口付近の外に、
母親や親戚の人たち、
祖父の会社の人たちがすでに集まっていた。
私の父は当時、
祖父の会社に勤めていた。
祖父の会社は、会社兼自宅であったため、
わたしも良く遊びに行くことがあったし、
会社の社員旅行も、
家族ぐるみで参加していたので、
会社の人たちの顔は、
わたしも良く知っていた。
「お前がしっかりしなけりゃいかんだろが!!」
罵声ともいえる大きな声が聞こえた。
それは、当時祖父の会社につとめていたたけしさんの声。
見るからに短気そうなたけしさんは、
子どもでも容赦なく怒る。
そんなたけしさんに、
母親はわきで支えられていた。
一人で立っていられないらしい。
ときおり、脳貧血を起こすのか、
ふらっと倒れそうにもなっていた。
そんな母親を見たのは初めてだった。
というより、
実際にそんな人を見るのも初めてだった。
その時の光景はとても印象的だった。
人は心配し過ぎると、
こんなふうになっちゃうんだって。
それと同時に、
このストレスで母の方も、
体を壊さないか心配になった。
父はすでに緊急手術中。
内臓が破裂しているらしい。
「内臓破裂!?」
当時のわたしは、
はっきりと内臓が何かをわかっていなかったが、
内臓破裂っていう言葉を聞いたときは、
父は死んじゃうんじゃないかって、
とても不安になった。
どれくらい待ったのか、
あまり覚えていない。
長く感じたのか、
短く感じたのかも。
ただ、待っているときに見ていた
手術室の手術中という表示が今も目に焼き付いている。
手術は成功した。
小腸の一部に穴が開いていたらしい。
それと、手の複雑骨折。
命に別状はなかった。
事故の様子や車の状態からすると、
奇跡的らしい。
あとから、車の様子を見せてもらったが、
父が乗っていたのは会社の軽トラック。
前の部分がぺしゃんこになっていて、
運転席のすきまは、数センチくらいしかなかった。
事故の瞬間に、
少し体が助手席側にずれたらしく、
それが幸いし助かったらしい。
事故の状況としては、
横の細い道から、一時停止せずに出てきた車の脇に、
父の車は正面衝突したらしい。
相手は軽いけがで済んだらしいからよかった。
父親も、時間はかかったが、
無事に退院し、仕事にも復帰した。
お腹の手術の跡は痛々しく、
ときおり、傷を痛がっている様子もあった。
これまで父のお腹をよく見ることはなかったが、
こんなにお腹出てたっけなと思うほどぽっこり出たお腹になっていた。
父は事故の影響でお腹が出たって言ってたけど、
ただのビール腹だと思う。
父の事故から半年後、
わたしたち家族は日常の生活を取り戻した。
当たり前の日常。
家族がいて、友達がいて、
そのことが当たり前のことで、
あまり深く考えたこともなかった。
中学2年生のわたしは、
この当たり前の日常が、
当たり前にずっと続くものだと思っていた。
でも父の事故により、
この当たり前の日常の幸せに少し気づくことができた。
この日常がずっと続いてほしい。
—
しかしその願いとは裏腹に、
1年後、この当たり前の日常が、
まったく別のものに変わってしまう。
そんなことを、
このときのわたしは知る由もなかった。
(つづく)
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